株の修行僧から伝説の神へ──94歳バフェットが退任、もう二度と現れない「人類最後の投資神話」

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94歳の別れ:時代の終わりが静かに始まる
2025年5月3日、アメリカの伝説的投資家ウォーレン・バフェットは、バークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)の株主総会で年末にCEOを退任し、副会長のグレッグ・アベル(Greg Abel)に後継を託すと自ら発表した。これは単なる経営交代ではなく、人類の金融史に刻まれた一つの伝説が終焉を迎えることを意味している。
このニュースが報じられると、ウォール・ストリート・ジャーナルやフィナンシャル・タイムズなどの主要メディアは即座に反応し、「もう第二のバフェットは現れないだろう」と語った。しかし、その言葉の裏には、いかに再現不可能な条件があったのかという問いが潜んでいる。


一、常人を超えた集中力──株式市場の修行僧
ウォール・ストリート・ジャーナルのコラムニスト、ジェイソン・ツヴァイクは、バフェットの伝説は「個人の特性」「時代のめぐり合わせ」「投資哲学」という三本柱の上に成り立っていると指摘する。まず挙げられるのは、彼の宗教的とも言える自律と情熱だ。11歳で初めて株を購入して以来、彼の人生は株式への献身で満ちていた。
若き日のバフェットは、企業の年次報告書を聖書のように読み込んでいた。あまりに集中しすぎて、家の中で年報を読みながら歩いては家具にぶつかっていたという。ツヴァイクはこう語る。「彼の体は家にいても、魂は減価償却と税控除の数字の世界に没入していた。」
70年以上にわたって、バフェットは10万件以上の財務報告書を読破したと推定されている。あるインタビューでは、50年前に読んだ書籍の一節をほぼ正確に暗唱できたという驚異の記憶力を見せた。ツヴァイクは彼を「人間AI」と表現し、膨大なデータから独自の宇宙を構築し、市場の兆候を直感で見抜く力を持っていたと語った。
しかし、AIとビッグデータが台頭する現代において、こうした天才ですら情報面での優位性を失うかもしれないとツヴァイクは警鐘を鳴らしている。


二、歴史に選ばれた存在──もし違う時代・場所に生まれていたら?
バフェットはかつて、自分は「卵巣宝くじ」に当たった幸運な人間だと冗談めかして語った。1930年代、資本主義の中核であるアメリカ・オマハに生まれた彼は、もし1880年に生まれていれば、家畜に投資していたかもしれないし、シベリアに生まれていれば、一生鉄道で働いていたかもしれないと述べている。
彼は幸運にも、価値投資の父であるベンジャミン・グレアムに師事する機会を得た。ミューチュアルファンドやインデックス投資が普及する前の時代に、バフェットは市場に注目されない株を安価で買い集め、じっくりと市場の評価を待った。
1957年から1968年にかけて、彼の平均年利回りは驚異の25.3%を記録し、同時期のS&P500平均の2倍以上に達した。ツヴァイクは強調する。「1年間市場を上回るのは運かもしれないが、60年間続けることは偶然ではない。」


三、逆風の中に築いた帝国──バークシャーという構造の勝利
バークシャー・ハサウェイは、伝統的な投資ツールではない。株式、債券、非上場企業を内包し、かつては世界最大の銀保有者でもあった。バフェットは運用報酬も成果報酬も一切受け取らず、会社の財務運営を短期的な圧力から解き放った。そして、真の意味での「逆張り戦略」を可能にした。
他のファンドが熱狂時に資金を集め、暴落時に強制的に売却される中で、バークシャーの資金は社内の利益から生まれるため、外部の資金フローに左右されることはない。これにより、バフェットは市場が最も恐怖に包まれているときでも冷静に買い出動することができた。このような贅沢な投資の自由は、他のファンドマネージャーにとっては夢のような優位性だ。
皮肉なことに、ツヴァイクは、多くのプロ投資家は実際にはそのような自由を欲していないと語る。なぜなら、その自由は孤独と責任、そして果てしない忍耐を伴うからだ。


バフェットの人生は、規律と偶然が完璧に交差した長距離走のようだった。情報が乏しい時代においても、根気と洞察力で市場に打ち勝つことができることを証明した。だが、ツヴァイクが言うように、こうした組み合わせは今や再現困難となっている。
この伝説的な人生から学ぶべきは、AIが人間の判断と記憶を代替し始めた今、未来の投資世界は一体誰が主導するのかという根本的な問いだ。
歴史を振り返れば、市場の流れを的確に掴んだのは常に「異端」の人物だった。たとえば19世紀の投機王ジェシー・リバモア、20世紀のヘッジファンドの巨人ジョージ・ソロス。彼らは制度が未整備な時代に、人並外れた感覚と大胆さで新たな道を切り開いた。
バフェットがさらに一歩先を行っていたのは、彼が短期投機家ではなく、「長期投資」を極限まで突き詰め、それを哲学にまで昇華させたからだ。その哲学には、時間だけでなく、それを可能にする時代が必要だった。